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大阪地方裁判所 平成4年(わ)2489号 判決

本店所在地

静岡県志太郡大井川町相川九四五番地の八

株式会社ニッセー

(代表者代表取締役 川村裕二)

本籍

静岡県志太郡大井川町相川五七一番地の二

住居

同町相川一五四一番地

会社役員

川村裕二

昭和四年四月二九日生

右の者らに対する各法人税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官室田源太郎出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人株式会社ニッセーを罰金一億五〇〇〇万円に、被告人川村裕二を懲役三年に処する。

被告人川村裕二に対し、この裁判確定の日から三年間その刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人株式会社ニッセー及び被告人川村裕二の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人株式会社ニッセー(以下「被告会社」という。)は、静岡県志太郡大井川町相川九四五番地の八に本店を置き、清涼飲料水の製造販売及びゴルフ場やホテルの経営等を目的とする資本金九八〇〇万円の株式会社であり、被告人川村裕二(以下「被告人」という。)は、被告会社の代表取締役としてその業務全般を統括していた者であるが、被告人は、被告会社の業務に関し、その法人税を免れようと考え、別紙(一)修正損益計算書記載のとおり、平成元年五月一日から平成二年四月三〇日までの事業年度における実際の所得金額が四七億〇一九二万六〇二六円で、これに対する法人税額が一八億〇八四三万五七〇〇円であった(別紙(二)税額計算書参照)にもかかわらず、被告会社が保有していた株式会社新広島カントリー倶楽部及び株式会社小倉南カントリークラブの各株式を株式会社ケー・ビー・エス・びわ湖教育センターに対して売却したことにかかる有価証券売却収入の一部を除外するほか、その一部を公表経理上借入金であると仮装して計上するなどの不正の行為により、その所得の一部を秘匿したうえ、確定申告書提出期限の延長処分による申告書提出期限内である同年七月三一日、同県藤枝市青木二丁目二番三三号所在の所轄藤枝税務署において、同税務署長に対し、右事業年度の所得金額が一三億九六〇四万七七五四円で、これに対する法人税額が四億八六〇八万六四〇〇円である旨の内容虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、別紙(二)税額計算書記載のとおり、右事業年度の法人税額一三億二二三四万九三〇〇円を免れたものである。

(証拠の目標)

(注) 括弧内の漢数字は証拠等関係カード記載の検察官請求分証拠番号を示す。

一  被告人の当公判廷における供述

一  被告人の検察官調書〔五一、五二〕及び大蔵事務官質問てん末書〔三八ないし四一、四三ないし四九<ただし四五については問六及び問七を除く。>、五〇〕

一  第四回ないし第六回公判調書中の証人野呂晴太郎の供述部分

一  第六回ないし第八回公判調書中の証人掘裕の供述部分

一  第九回公判調書中の証人吉村民夫の供述部分

一  証人吉村民夫の当公判廷における供述

一  証人北山和信の当公判廷における供述

一  野呂晴太郎〔二四、二五〕、大熊辰男〔二七〕、伊藤正行〔二八、二九、三一〕、長谷川淳〔三〇〕、井上可代子〔三二〕の検察官調書

一  濱田弘幸〔三四〕、許永中〔三五〕、堀源太郎〔三六〕、吉村努〔三七〕、山本満雄〔九二、九三〕の検察官調書謄本

一  査察官調査書〔五ないし一五、一八、二二、二三、八四ないし八七〕

一  査察官調査報告書〔一六、一七〕

一  証明書〔二、三〕

一  脱税額計算書〔一〕

一  捜査報告書〔四〕

一  法人登記簿謄本〔五三〕、閉鎖商号資本欄用紙謄本〔五四〕及び閉鎖役員欄用紙謄本〔五五〕

一  基本的要求事項(写)等(袋入)一袋(平成五年押第五七七号の1)〔六五〕、社長講演要旨等三綴(同号の2)〔六六〕、(株)ニッセー処理案資料等(ニッセーの社名入り大封筒入り)一袋(同号の4)〔六九〕、ニッセーの社名入り中封筒と東興の社名入り中封筒に入ったニッセーとケー・ビー・エス・びわこ教育センター引継ぎ確認に関する書類等(ニッセーの社名入り大封筒入り)一袋(同号の5)〔七〇〕、輪ゴムで束ねられたメモ書写等一束(同号の6)〔七一〕、平成元年度元帳一綴(同号の8)〔七三〕、平成三年度元帳一綴(同号の10)〔七五〕、黒色ファイル入りの株式売買及び経営権譲渡等に関する契約書等一綴(同号の11)〔七七〕

(事実認定の補足説明)

一  弁護人らは、被告会社と株式会社ケー・ビー・エス・びわ湖教育センター(以下「ケー・ビー・エス」という。)との間で、平成元年七月三一日、被告会社の保有する株式会社新広島カントリー倶楽部(以下「新広島」という。)及び株式会社小倉南カントリークラブ(以下「小倉南」という。)の各株式全部についてなされた取引(以下「本件取引」という。)において、被告会社は新広島の株式をケー・ビー・エスに対して一〇六億四〇〇〇万円で売却したのであって、検察官が売上除外したと主張する二三億六〇〇〇万円についてはこれを買主が全額負担するという条件で売却したのであり、また、被告会社は小倉南の株式を譲渡担保に供してケー・ビー・エスから三〇億円の融資を受けたのであって、小倉南の株式を売却したものではなく、したがって、被告人には脱税になるという認識はなかった旨主張し、被告人も当公判廷においてこれに沿う供述内容となっている。そこで、これらの点につき、当裁判所の判断を示す。

二  被告人の当公判廷における供述の大要は以下のとおりである。

1  被告会社の缶入飲料の販売先であったビーボ・フーズ株式会社(以下「ビーボ・フーズ」という。)が経営難に陥っていたことから、被告会社はビーボ・フーズに対し融資を続けていたが、同社の経営は好転せず、昭和六二年一〇月ころの時点で同社に対する不良債権は約九八億円に達し、この不良債権を整理する必要に迫られていた。ところが、被告会社の取引先は、いわゆる一部上場の会社が多く、対外的信用を保持する上からは常時黒字を計上し続ける必要があったため、右不良債権を整理すれば、欠損金を出すこととなり、その対応に苦慮していた。そこで、被告人は、被告会社の資産である新広島を売却することによって右不良債権を整理しようと考えた。被告人は、当時のゴルフ場の売却事例からみて新広島は百五、六十億円で売却できると思っていた。

このころ、被告人が預けていた名糖産業の株式三〇万株が行方不明になり、その株式の返還をめぐって問題が発生していた昭和六三年一〇月ころ、吉村民夫(以下「吉村」という。)が預かり側の責任者として右株式の返還問題に関与するようになり、翌平成元年四月ころ、右株式が被告人に返還された。この間の同年一月ころ、吉村は被告人に対して新広島を売却するよう申し入れたが、被告人はこれを断った。しかし、右株式返還後も吉村は被告人に対して新広島の売却方を熱心に要請し続けたところ、被告人は、吉村が右株式の返還問題を解決してくれたことなどから同人を信用するようになり、吉村の会社に新広島を売却してもよいと考えるようになった。

2  被告人は、平成元年六月半ばころ、吉村に対し、現金で一括して支払うのであれば、代金額一六〇億円で新広島を売却してもよい旨伝えた。被告人は、半ば吉村が本当に買ってくれるものと思い、その一、二日後、被告会社の副社長など二、三人の役員らに対し、新広島が一六〇億円で売れるが、相手が買うと言ったら手放すかと内々に話したところ、役員らからは社長に任せると言われた。

3  その後一週間ないし一〇日が経ってから被告人が吉村と会ったところ、吉村は、会長と話し合ったら新広島の評価価値は一三〇億円であり、それだけしか出せないがその価格で新広島を売却してほしいと言ってきた。被告人は、新広島を一三〇億円で売ってもビーボ・フーズに対する九八億円の不良債権の処理はできるが、一旦役員らに対して新広島を一六〇億円で売却すると言って役員らを喜ばしてしまった立場上、一三〇億円で売却することはできず、被告人の面子をつぶすと考え、吉村の申し入れを断った。

4  さらにその後、吉村は被告人に対し、新広島は一三〇億円で売却し、合わせて小倉南も売ってほしいと申し入れた。これに対して、被告人が、新広島と小倉南と二つのゴルフ場を同時に売れば対外信用を損なうので小倉南を売買の対象にするつもりはないと答えたところ、吉村は、小倉南はすぐに売らないでよいから二年後に売る約束をして欲しい、そのために小倉南の株式を譲渡担保に入れてくれれば三〇億円を貸すので、新広島の代金一三〇億円と合わせて一六〇億円になると提案した。さらに、被告人は、吉村から同人側で新広島の経費面を負担する、また、小倉南を五〇億、六〇億円で売り上げるので二年後には必ず正式に売ってほしいと言われ、吉村が二年後には小倉南を必ず五〇億、六〇億円で売ってくれるものと思った。ただ、吉村が二年後に小倉南を売り上げた場合に関する具体的な交渉はなかった。

この時、吉村は被告人に対し、吉村側に対する五億六〇〇〇万円の手数料、被告会社の系列会社である株式会社東興(以下「東興」という。)の手数料三億円、被告人が理事長を務める財団法人川村文化振興財団(以下「川村文化振興財団」という。)に対する寄附金五億円、地元対策費二億円については経費として吉村側で待ち、新広島の代金一三〇億円の枠の中から支払うと申し入れた。このうち、吉村側に対する手数料五億六〇〇〇万円は吉村側が一六〇億円を調達するのでその一六〇億円の金利相当分を代金額から差し引くことを吉村が希望したものである。また、東興の手数料三億円は、吉村が被告人側で必要な経費があれば代金枠内で支払うと言ったことから、東興が従来新広島から受けていた指導事務費が新広島売却後はなくなってしまうので、それまでの東興の仕事についての手数料として被告人が要求したものである。川村文化振興財団に対する寄附金五億円は、吉村が川村文化振興財団の趣旨に賛同して寄付すると言ったものである。さらに、地元対策費二億円は、吉村が、新広島の経営の円満な引き継ぎをすべく被告人側に地元対策をさせるため計上したものである。以上のように、新広島の売買の額は一〇六億四〇〇〇万円となり、被告人も一〇〇億円を確保したらよいと思い、右のようなものを差し引いた一〇六億四〇〇〇万円が売買代金であると思った。

5  被告人は、平成元年七月二四日ころ、被告会社の会議において同社役員ら、顧問税理士の野呂晴太郎(以下「野呂」という。)及び顧問弁護士の堀裕(以下「堀」という。)に対して吉村の右提案を諮ったところ、右出席者らからはビーボ・フーズの不良債権に必要な金額が確保されるのであれば吉村の提案に応じてよいのではないかと言われ、また向こう二年間は被告会社が小倉南を経営するとの結論になった。そこで、被告人は吉村に対して同人の右提案に応ずると返事した。被告人はこの会議以降本件取引に関する手続を被告会社の担当者や堀に任せた。この後、東興から新広島に対する貸金が八億円あってこれを新広島から東興へ返さなければならないという話があり、売買代金から差し引いてケー・ビー・エスが新広島に貸し付けることとなった。

6  右会議の後、堀は、被告会社が新広島及び小倉南の株式全部を合わせて一六〇億円で売却すること、右一六〇億円の割り振り並びに名目は(1)新広島の株の売却代金として一〇六億四〇〇〇万円、(2)ケー・ビー・エスの被告会社に対する貸付金として三〇億円(但し、同貸付金の担保として、被告会社は小倉南の全株式につきケー・ビー・エスを債権者とする代物弁済予約の設定などをする。)、(3)残りの二三億六〇〇〇万円については、〈1〉ケー・ビー・エスへの手数料五億六〇〇〇万円、〈2〉ケー・ビー・エスの新広島に対する貸付金八億円、〈3〉東興への手数料三億円、〈4〉被告会社の指定するものへの相談顧問料二億円、〈5〉川村文化振興財団への寄附金五億円とすること、被告会社は平成元年七月三一日以降向こう二年間にわたり小倉南の経営を続け、ケー・ビー・エスはこれに異議を述べないものとすることなどを記載した「株式会社新広島カントリー倶楽部並びに株式会社小倉南カントリークラブ売却に関する当方の基本的要求事項」と題する文書(基本的要求事項(写)等(袋入)一袋〔平成五年押第五七七号の1〕中の同題の文書はその写しであり、黒色ファイル入りの株式売買及び経営権譲渡等に関する契約書等一綴〔同号の11〕中の同題の文書はそのファックス送信されたものの写しである。以下「基本的要求事項」という。)を作成し、吉村側に提示した。

堀は、基本的要求事項において、右のように平成元年七月三一日以降向こう二年間にわたり被告会社は小倉南の各役員をして小倉南の経営を継続し、ケー・ビー・エスはこれに異議を述べないこととするように申し入れていたが、これに対し契約日である同年七月三一日の前日ころになって吉村側から堀に対して小倉南の役員の変更を早くしたいとの要請があり、被告人は吉村の右要請を了承した。また、契約日の間際になって、吉村から被告会社に対し一五億円を貸してほしいとの申し入れがあり、これも了承した。

7  同年七月三一日の契約当日には、吉村側は決済金額一六〇億円のうち一五億円については約束手形を持参し、一週間か一〇日で返済すると言ったが、当時、被告人は吉村を信用していたからやむを得ないと思い、了承した。被告人は、吉村に対して、小倉南を担保に入れて融資を受ける三〇億円から右一五億円を相殺するなどの差し引くための交渉はしなかった。

8  被告人が吉村に対し、地元対策費の二億円の小切手の現金化を依頼したところ、吉村はそのうち五〇〇〇万円を差し引き、一億五〇〇〇万円を被告人に返した。

9  被告会社では平成三年七月三一日に小倉南を売上計上したが、このときは特に会議も持たずに通常の経理処理をした。

被告人は当公判廷において以上のとおり供述する。また、第四回ないし第六回公判調書中の証人野呂の供述部分も被告人の右公判供述に沿う内容となっている。

三  次に被告人の右公判供述の信用性について検討する。

1  被告人は、右のとおり、被告人と吉村との間では一旦は新広島を一三〇億円で売買する旨の合意がまとまりながら、さらに吉村が自ら経費を負担すると言いつつ新広島の代金額を二三億六〇〇〇万円減額し、最終的には被告人は新広島を一〇六億四〇〇〇万円で売却したに過ぎない旨当公判廷において供述するが、被告人の公判供述によっても、新広島の価値は一六〇億円程度あると思っていたこと、当初吉村が新広島を一三〇億円で買いたいと申し入れてきたのに対して被告人は吉村の右一三〇億円での申し入れを断ったというのであるから、それにもかかわらず新広島を一〇六億四〇〇〇万円で売却したに過ぎないとの供述自体不自然かつ不合理な供述である。さらに、被告人が本件取引に関し、一六〇億円にこだわっていたことや、前記の二三億六〇〇〇万円がケー・ビー・エス側で負担すべき経費ということであれば、一三〇億円に上乗せするのが商取引における通常の形態である上、右二三億六〇〇〇万円の内容をみるとケー・ビー・エス側において負担すべき必然性は何ら存しないことからすれば、右のように安易に吉村の要求に応じて新広島の代金額を減額したとの供述は不合理であると言わざるを得ない。また、被告人は、被告会社が小倉南を譲渡担保に入れてケー・ビー・エスから三〇億円の融資を受けたとしつつも、逆にケー・ビー・エスから被告会社に対して一五億円の融資の要請があったときには、右一五億円の融資を簡単に了承しただけでなく、右三〇億円の融資と相殺するための交渉すらしなかったと供述し、あるいは小倉南に関して吉村が二年後には五〇億、六〇億円で売り上げると言っていたとしながら、吉村が売り上げた場合の利益配分等に関する具体的な交渉はなかったと供述し、二年後の売上計上をした際も、何らの交渉もなされないまま経理処理されていたと供述するなど、いずれも供述自体からみても、不自然、不合理なものである。

なお、被告人は、前記平成元年七月二四日の会議の席上被告人が売買代金一六〇億円と話したかとの弁護人の問いに対し、決済が一六〇億円に向こうがするということでしたかもしれない旨述べ、さらに、一六〇億円を向こうが用意するぞということで一六〇億円相当を決済するんじゃないかということを言ったから一六〇億円と言ったか、あまり記憶にないが、一六〇億円という金額が当初持ってたということは承知している旨述べる等あいまいな供述をなしている(第一三回公判廷における被告人の供述)。

2  さらに、前記証拠の標目に掲げた関係各証拠によれば、以下の事実が認められる。

(一) まず、本件売買の対象及び代金総額についてみると、堀が本件取引に関してケー・ビー・エスの顧問弁護士濱田弘幸(以下「濱田」という。)に宛ててファックス送信した基本的要求事項には、本件取引総額の一六〇億円を売却代金の総額であると記載されており、また堀はこの代金額は新広島及び小倉南一体の代金であって不可分であると認識していたこと、また、被告人は、本件取引後の平成元年八月一七日に株式会社静岡カントリー浜岡コースのスカーレット室で行った講演において、同年七月三一日を以って新広島及び小倉南の両ゴルフ場を売却した旨述べたこと(社長講演要旨等三綴〔同号の2〕)が認められる。

(二) 次に、小倉南の経営権の移転についてみると、

(1) 小倉南の役員について、基本的要求事項5項の(4)ないし(6)には本件取引の二年後にこれを被告会社側の者からケー・ビー・エス側の者に交代させるとの記載があるが、実際には経営権譲渡等に関する契約書(黒色ファイル入りの株式売買及び経営権譲渡等に関する契約書等一綴〔同号の11〕中の同題の文書はその写しである。)第五条のとおり、平成元年八月三一日までに被告会社側の者を退任させてケー・ビー・エスの指定する者を選任するものとし、またケー・ビー・エスは平成元年七月三一日には実際に被告会社側の当時の各取締役の辞任届(査察官調査書〔一七〕添付の同題の文書はその写しである。)を徴求していたこと

(2) 本件取引と同時に、被告会社からケー・ビー・エスへ小倉南の株式の全部を譲渡し、その経営権を全面的に委譲する旨の合意が成立したことを確認し、平成元年七月三一日付け金銭消費貸借契約書(黒色ファイル入りの株式売買及び経営権譲渡等に関する契約書等一綴〔同号の11〕中の同題の文書はその写しである。)中の弁済に関する期限の利益喪失条項の効力を否定する等の趣旨の覚書(基本的要求事項(写)等(袋入)一袋〔同号の1〕中の同題の文書はその写しである。)並びに新広島及び小倉南の両ゴルフ場の実質的経営権が平成元年七月三一日をもってケー・ビー・エスに移転したことを確認する旨の確認書(黒色ファイル入りの株式売買及び経営権譲渡等に関する契約書等一綴〔同号の11〕中の同題の文書はその写しである。)を被告会社とケー・ビー・エスとの間で取り交わし、また小倉南の株式全部を被告会社がケー・ビー・エスに譲渡することを小倉南の取締役会が承認したとする同月三〇日付け取締役会議事録(査察官調査書〔一七〕添付の同題の文書はその写しである。)並びに前記辞任届及び右取締役会議事録が完全に有効なものであることを保証する旨の文書(黒色ファイル入りの株式売買及び経営権譲渡等に関する契約書等一綴〔同号の11〕中の同様の文書はその写しである。)をケー・ビー・エスに差し入れたこと

(3) 前記経営権譲渡等に関する契約書に基づき、本件取引の約一か月後である平成元年八月二九日、堀及び濱田らの立会いの下で、小倉南の資産等が被告会社からケー・ビー・エスに対して引き継ぎがなされ、そのことを確認する文書(ニッセーの社名入り中封筒と東興の社名入り中封筒に入ったニッセーとケー・ビー・エス・びわこ教育センター引継ぎ確認に関する書類等(ニッセーの社名入り大封筒入り)一袋〔同号の5〕の一部)が作成されたこと

(4) 小倉南についての役員交代及び資産引き継ぎは、株式売買及び経営権譲渡等に関する契約書を作成した新広島について執られたのと同様の手続であること

(5) 実際にも本件取引後は被告会社をはじめとする静岡カントリーグループは小倉南の運営には関与していないこと

(6) 被告人は、本件取引直前の平成元年七月二九日、新広島支配人の川村正吾及び小倉南支配人の長谷川淳に対して、両ゴルフ場を売却するが小倉南は年度を分けて後から売却する形にすると説明し、右長谷川は同年八月二日、小倉南の幹部社員に対し、同社の経営者が変わった、ケー・ビー・エスに売却された旨発表したこと(長谷川淳及び井上可代子の各検察官調書)

(7) 堀は、本件取引によって小倉南の会社経営の実質的リスクが被告会社からケー・ビー・エスへ移転したものと認識していたし(第六回ないし第八回公判調書中の証人堀の供述部分)、また本件取引後、小倉南は他人のものであるというのが被告会社をはじめ静岡カントリーグループ各会社の社員の認識であったこと(伊藤正行の各検察官調書)

以上の事実が認められ、右事実を総合すれば、小倉南の経営権は本件取引と同時に被告会社からケー・ビー・エスへ移転したものと認められる。

(三) また、三〇億円の金銭消費貸借契約についてみると、被告人が被告会社の役員らや野呂及び堀に対して本件取引の具体的な内容について指示した平成元年七月二四日の会議の席では、小倉南を担保にケー・ビー・エスから融資を受けたとする三〇億円についての利息の率について決定されておらず、また右融資に関する前記金銭消費貸借契約書には利息を年三パーセントとする記載はあるものの実際には被告会社がケー・ビー・エスに対し右利息を支払ったことはないことが認められる上、本件取引の直前にケー・ビー・エスが被告会社に対し、一五億円の融資を要請していることからみても、三〇億円の金銭消費貸借については仮装であると認められる。

(四) 本件取引の代金総額から東興に対する手数料三億円については、東興が本件取引を仲介するなど、手数料を受け取るような関与をした形跡は窺われず、ケー・ビー・エスが東興に対して手数料を支払うべき理由は見いだせない。

3  以上のとおり、被告人の公判供述は、前記1で述べたとおり不合理な点が多く、また前記2で認定した各事実にも反するものであって、にわかには信用できない。

四  これに対し、被告人の捜査段階における供述の大要は以下のとおりである。

1  被告人は、平成元年六月二二日、吉村に対し新広島を一六〇億円で売却すると申し入れ、吉村はこれを了承した。被告人は、これで欠損を出さずにビーボ・フーズに対する九八億円の不良債権の貸倒処理ができると考えた。

2  同年七月一二日、吉村は被告人に対し、新広島だけで一六〇億円もの価値はないのであって、一〇〇億円か、高くて一三〇億円であるから、新広島と小倉南を合わせて一六〇億円で売却するよう求めた。被告人は、被告会社の役員らに対して一六〇億円で新広島を売却すると話してしまっていたことやビーボ・フーズの不良債権の問題もあったため一六〇億円は確保しなければならないと思い、新広島と小倉南を一六〇億円で売却するが同月末までにオール現金で決済するようにと回答した。このとき、被告人は吉村に対し、新広島と小倉南を一六〇億円で売却した場合原価が一〇六億円余りになり、利益が五三億ないし五四億円となって税金に二〇億円以上取られると話したところ、同人は、小倉南分の三〇億円は融資ということにして小倉南を担保として提供したことにしておけば税金はかからないと提案したので被告人は吉村の提案のとおりに取引することにし、同人に対して二年くらいの間は小倉南を表立って売らないようにと言っておいた。

その際、吉村は被告人に対し、吉村側に対して取引金額一六〇億円の三・五パーセントに相当する五億六〇〇〇万円を手数料として支払うよう要求し、被告人はこれを了承した。

3  同月二四日、被告人は被告会社本社事務所二階会議室での被告会社の会議において、被告会社の副社長大熊辰男、同経理担当社員鈴木昭夫、東興の経理課長伊藤正行、堀及び野呂等に対して、新広島及び小倉南の株式全部を合わせて一六〇億円でケー・ビー・エスに対し売却するが、うち三〇億円については借入金ということにすると話し、さらに、右伊藤に東興の赤字額などを報告させた上で、五億六〇〇〇万円を手数料として買主側に支払うこと、被告会社としても手数料として二億円、東興に対する手数料三億円、川村文化振興財団に対する寄附金五億円、東興の新広島に対する融資の回収のためとしてケー・ビー・エスから新広島に対する貸付金八億円などを計上して税金負担が少なくするようにすると説明し、堀に対して本件取引のための手続き関係を依頼した。

4  堀は、右会議における被告人の説明に基づいて基本的要求事項を作成し、これは同月二七日に吉村側に対してファックス送信された。なお、基本的要求事項においては本件取引後も被告会社が二年間小倉南の経営を続けるものと記載されているが、実際には本件取引と同時に小倉南の経営主体は被告会社からケー・ビー・エスへ移った。

5  被告人は、同月二九日、新広島の支配人河村正吾及び小倉南の支配人長谷川淳に対し、両ゴルフ場を売却することになったので従業員へ伝達してもらいたい旨話した。

6  被告人は、同月三一日、ケー・ビー・エスの東京事務所において、被告会社とケー・ビー・エスとの間で、新広島に関しては株式売買及び経営権譲渡等に関する契約書を、小倉南に関しては経営権譲渡等に関する契約書及び金銭消費貸借契約書をそれぞれ交わし、また、小倉南は実際には売買したのであって担保に供したものではないことを明確にするため、小倉南の株式全部の譲渡とその経営権の全面的委譲を確認しつつ右金銭消費貸借契約書中の条項の効力を否定する旨の前記覚書並びに新広島及び小倉南の実質的経営権の移転に関する前記確認書を取り交わし、さらに小倉南の株式譲渡承認についての前記取締役会議事録及び右取締役会議事録などが完全に有効なものであることを被告人が保証する旨の前記確認文書をケー・ビー・エスに差し入れた上、小倉南の株券及び不動産の権利証を引き渡した。

また、このとき、ケー・ビー・エス側から本件取引に立ち会った井上豊次が川村文化振興財団に対する寄附金の税金は被告会社とケー・ビー・エスのどちらが支払うのだと言ったので、被告人は、吉村に対しケー・ビー・エス側で支払うのだと答えた。

7  本件取引の二、三日前に吉村から、一〇日か一五日で返済するので一五億円を被告会社からケー・ビー・エスに貸してほしい旨の申し入れがあり、同月三一日の本件取引の日には吉村は本件取引金額のうち一五億円については約束手形を用意してきた。被告人は吉村の申し入れを受け入れ、一五億円を融資することとした。したがって、被告人は同日、ケー・ビー・エスから、株式会社コスモスが手数料として受け取った五億六〇〇〇万円及び右一五億円を差し引いた合計一三九億四〇〇〇万円分の預金小切手を受け取った。なお、右一五億円はその後被告会社に対して返済されなかった。

8  被告人は、同年八月一〇日ごろ、右一三九億四〇〇〇万円のうち、基本的要求事項にいうところの被告会社の指定する者への相談顧問料として被告人が受領した二億円の小切手の現金化を吉村に依頼したところ、吉村に手数料として五〇〇〇万円を差し引かれ、同人から現金一億五〇〇〇万円を受け取った。

9  被告人は、同月一七日、株式会社静岡カントリー浜岡コースの会議室において、被告会社の幹部社員に対し新広島と小倉南を売却したことを話した。

10  その後、吉村が小倉南を表立って転売したようで、そのため小倉南の会員らから同社を売却したのかという問い合わせが入るようになったので、被告人は、同年一一月ころ、吉村に対し、表立って転売しないという約束に反する旨抗議したところ、吉村らが転売先である雅叙園観光株式会社に対し抗議する旨の内容証明郵便の写しが送られてきたが、被告会社は小倉南をケー・ビー・エスに売却したものであり、右内容証明郵便の内容は虚偽である。

被告人は捜査段階において以上のとおり供述している。

五  被告人の捜査段階における右供述の信用性について検討するに、同供述は前記三の2において認定した各事実に合致すること、被告人の取り調べを担当した当時の大阪国税局収税官吏大蔵事務官北山和信は当公判廷において、本件捜査は非常にスムーズに進んだものであり、被告人も取り調べ時に全面的に自らの非を認めるところがあったと供述し、また被告人も当公判廷において、右北山の取り調べは、本件取引について売買であるという認定はされたけれども事実関係については大方は述べたとおりに調書を作成されたものであり、被告人の検察官調書〔五二〕を作成した絹川検事の取り調べにおいては被告人も主張し、話を聞いてくれたのでうれしかったと供述していることなどからすれば、前記の被告人の捜査段階での供述は十分信用できるものと認められる。

六  以上からすれば、本件取引のうち、小倉南の株式に関する取引については、被告会社はケー・ビー・エスに対し平成元年七月三一日には小倉南の株式全部を売却し、実質的にも形式的にもその時点でその所有権を移転するものであったと認められる。また、基本的要求事項にいうところのケー・ビー・エスへの(ただし、実際には株式会社コスモスに対するものであった。)手数料五億六〇〇〇万円、ケー・ビー・エスの新広島に対する貸付金八億円、東興への手数料三億円、被告会社の指定するものへの相談顧問料二億円及び川村文化振興財団への寄附金五億円の合計二三億六〇〇〇万円はケー・ビー・エスが支払ったものではなく、被告会社が新広島及び小倉南の各株式全部を売却した代金一六〇億円の一部としてケー・ビー・エスから受け取ったものであると認められる。したがって、本件取引によって、被告会社はケー・ビー・エスに対して新広島及び小倉南の各株式全部を代金一六〇億円で売却したものと認められる。

さらに、被告人は、以上のような取引経過について、前述のとおり自ら関与しあるいは堀などから報告を受けることによって熟知していたのであって、その認識に欠けるところはなく、本件取引は代金額一六〇億円の売買であることについての認識があったものと認められる。

よって、弁護人の主張は採用しない。

七  なお、前掲関係各証拠によれば、小倉南の株式を被告会社が取得した原価は二億八三四〇万円であること、また本件取引によって被告会社がケー・ビー・エスから受け取った売買代金のうちの二三億六〇〇〇万円について、そのうち五億六〇〇〇万円は被告会社が株式会社コスモスに対し手数料として支払ったものであること、八億円は東興の新広島に対する貸付金の返済処理として被告会社が東興に支払ったものであって被告会社の雑損失であること、三億円は被告会社が東興に対し手数料として支払ったものであること、二億円のうち五〇〇〇万円は被告人が吉村に依頼して預金小切手を現金化する際に被告会社から同人に手数料として支払ったものであり、残り一億五〇〇〇万円については被告会社の使途不明金であること、五億円については被告会社が川村文化振興財団に対して寄付をしたものであるが、そのうち法人税法所定の損金不算入額は四億三九二七万八二七二円であることが認められる(別紙(一)修正損益計算書参照)。

(法令の適用)

被告人の判示所為は法人税法一五九条一項に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処し、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予することとする。

さらに、被告人の判示所為は被告会社の業務に関してなされたものであるから、被告会社については、判示所為につき法人税法一六四条一項により同法一五九条一項所定の罰金刑に処すべきところ、情状により同条二項を適用して右の罰金額はその免れた法人税の額に相当する金額以下とし、その金額の範囲内で被告会社を罰金一億五〇〇〇万円に処することとする。

訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により被告会社及び被告人に連帯して負担させることとする。

(量刑の理由)

一  本件は、被告会社がその所有する新広島及び小倉南の株式をケー・ビー・エスに対して売却した利益に関し、被告会社の代表取締役である被告人が、一事業年度の間に一三億二二三四万九三〇〇円もの極めて巨額の法人税を脱税したものであって、ほ脱率も七三・一二パーセントと高率であり、納税義務に著しく反する重大事案である。

その犯行態様は、新広島及び小倉南の株式を一六〇億円で売却したにもかかわらず、新広島について一〇六億四〇〇〇万円しか売上計上せず、残りの金額のうち二三億六〇〇〇万円を売上除外し、また小倉南については担保ということで三〇億円を借入金と仮装して処理したものである。そして被告人が右のような処理をして法人税額を虚偽過少にしたのは、単に多額の納税を免れたいと思ったからに過ぎず、安易な動機である。

二  ところで、被告人が本件脱税をするに至った経緯についてみると、被告人は、本件取引の際、一六〇億円の売買に対して多額の税金が課されるのではないかと心配していたところ、吉村が、小倉南の株式の売買を、三〇億円の融資とそのための右株式の譲渡担保の形式にし、右株式を二年後に売買することにすればその分の税金を納めないで済むと教えてくれたことに端を発し、本件犯行に至ったのであって、本件犯行は、被告人自らの発想によるものではなく、小倉南の買収を急ぐ吉村から唆されたものである。しかも、本件取引は吉村との交渉過程において同人からの要求に押し切られる形で本件契約日までに、結果として小倉南の株式の所有権を実質的にも形式的にもケー・ビー・エスに移転する形態の取引に変質し、被告人もそのことを認識するに至ったものであるが、吉村から右のような示唆を受けた時点では、被告人は本件取引を形式的に二年後に小倉南の株式の所有権をケー・ビー・エスに移転するという形態の取引であると認識していたと認められる。

また、本件取引の実態についてみると、吉村は、当初は新広島及び小倉南の株式に対して一六〇億円を支払うと言っていたにもかかわらず、被告人が右株式を売却する意向を示すや否や、株式会社コスモスに対する手数料として五億六〇〇〇万円を支払うよう要求し、さらに本件取引の際には用意した売買代金が一五億円不足したことからこれをケー・ビー・エスに対する融資とするよう要求して一四〇億円足らずしか支払わなかった上、現在に至るまで右一五億円を返済しないのであってこれは実質的には売買代金を値引きしたものと認められる。その上、吉村は被告人が裏金とするために二億円の小切手の現金化を依頼した際にはそのうち五〇〇〇万円を手数料名下に差し引いて被告人には一億五〇〇〇万円しか渡さなかったのであって、被告会社は、実質的に、被告会社の意に反し、売買代金一六〇億円より一五億五〇〇〇万円少ない金額しか受け取っていないのである。

三  被告人が本件取引に関して公表経理処理上売上除外した金額は五三億六〇〇〇万円であるが、小倉南に関する三〇億円を除いた二三億六〇〇〇万円についてみると、前記認定のとおり、そのうちの使途不明金を除いた金額については手数料などとして本来も費用として損金計上されるべきものであって本件起訴に当たっても経費として認容されており、結局、寄附金のうち損金不算入とされた四億三九〇〇万円余りと、右使途不明金の一億五〇〇〇万円を加えた五億八九〇〇万円余りが売上除外となるものである。

さらに、小倉南に関する三〇億円のうち、株式の取得原価二億八三四〇万円を除いた売却利益二七億一六六〇万円については、被告人は本件取引に関する税金を、取引のあった平成二年四月期に支払うのを避け、二年後に所有権移転する形式をとってそのときに右売却利益の税金を支払うこととし、そのため平成元年七月三一日には右売却利益を三〇億円の借入金として計上したものの、その二年後には売上計上して平成四年四月期の所得として税務申告する予定であったものであり、また現実の公表経理処理上も平成三年七月三一日には右売却利益を売上計上していたものである。すなわち、被告人は本件契約当初から、小倉南の売却利益に見合う税金を完全に免れようと考えていたものではなく、時期こそ違うものの右税金を支払うつもりで実際にもそのように経理処理をしていた。

四  以上に加えて、被告人は、本件につき犯意を争うものの自己の責任を深く自覚し、反省していること、ほ脱税額については既に本件起訴前である平成四年六月二二日に修正申告を行って納付し、同年八月一〇日には重加算税も納付していること、被告会社は本件を除いては従前より納税態度は真面目であり、本件発生後はその経理体制をさらに強化するなどして再発防止に尽力していること、被告人は本件発生後商工会議所等の公職等を辞任したこと、被告人は家業の果物問屋から出発して現在の被告会社にまで育てあげ、また地元静岡県の経済界や文化活動にも貢献していることなどの事情も認められる。

五  本件の脱税額は巨額に及ぶものではあるが、前記犯行に至る経緯、本件取引の実態、本件取引の経理処理等被告人に有利な事情を総合して考慮の上、被告会社及び被告人をそれぞれ主文の刑に処し、なお被告人に対してはその刑の執行を猶予するのを相当と思料する。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田中正人 裁判官 松下潔 裁判官 増田啓祐)

別紙1 修正損益計算書

別紙2 税額計算書

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